小学生でもわかる【旧国名の移り変わり】

律令国の時代変化

先日、日本の旧国名(令制国名)の情報をシェアさせていただきました。これらの国名(県名)は太古の時代から定まっていたわけではありません。時代の要所で見直しがおこなわれ、現代に至っています。

少し難しい言葉が出てくる箇所もありますが、これらの原始の時代から現在に至るまでの流れをとらえることで、日本という国の歴史がとても受け入れやすくなります。

なるべく噛み砕いて、小学生の皆さんにもわかりやすくご紹介してみたいと思います。

また、その時代変化を4つに分けて画像で見ていただけるようにしました。pdfも用意しましたので興味のある方は<時代年表>と一緒にプリントして、並べたりくらべたりしてみてください。よりイメージしやすくなると思います。

◉飛鳥時代〜平安時代

律令国家の成立 

飛鳥時代〜平安時代<ダウンロード>

五畿七道(ごきしちどう)と、蝦夷(えみし)・琉球(りゅうきゅう) 

原始の時代におこった、天皇を中心として国全体の政治を行う<大和朝廷(やまとちょうてい)>は、4・5世紀には現在の九州から関東一帯までを統一支配するようになりました。 

飛鳥時代(飛鳥とは現在の奈良県高市郡にあった地域です)になると、大陸では<唐(とう)>という国ができて、律令制度(りつりょうせいど)という考えが日本にも伝わってきました。

律令制度とは、天皇と貴族が中心となって、国土と国民を支配・管理して政治を行い、税金を払ったり、兵隊として戦う義務などを決めた制度です。

そして大和朝廷は大化の改新(たいかのかいしん:645~)をへて律令国家(律令制による統一国家)の成立をおしすすめていきます。

 <五畿七道(畿内七道)>というのは、律令制度で定めた行政区画(政治をおこなうための区画分け)です。

中心地となる畿内五国(きないごこく)を五畿とさだめて、それ以外の地域を7つ(七道)に区分しました。 

この当時、東北地方に住み統一国家の支配をこばんだ人々や今の北海道や樺太に住んでいた人々(支配の外にいる人々)をまとめて蝦夷(えみし)とよんでいました。 

当初大和朝廷は蝦夷(えみし)に対して物資を送るなどをして従うようにうながしました が、この地域には中央集権(一つの決まった法律)がなく、従う集団と、 抵抗して戦いを行う集団がいりまじり、長い期間にわたり交易(こうえき)と征伐(とうばつ)が同じ時におこなわれる事態となりました。 そしてこの時代、蝦夷(えみし)たちの住む東北一帯と琉球(沖縄)は五畿七道に含まれませんでした。 

10世紀以降、しだいに未開の土地は現在の北海道だけになってくると、『蝦夷』は(えぞ)と 読み、最後にはアイヌをさすと考えるようになり、現在の北海道を「ア イヌの住む地」=蝦夷地(えぞち) というようにかわっていきました。 

◉平安初期〜江戸時代

律令国家全盛時代の令制国 

平安初期〜江戸時代<ダウンロード>

この時代も、未開の土地と呼ばれた蝦夷地(北海道)と琉球(沖縄)は 五畿七道に含まれませんでした。 琉球はこのころ琉球王国として統一され、交易が行われていました。

五畿七道による行政区画は、平安時代の初期までには何度か見直しがくり返されましたが、それ以降は明治時代に入るまで長い期間にわたり変更されませんでした。

<この時代に見直されたこと>(分立ぶんりつ:国をいくつかに分けて新しい国を作ること。)

○7世紀後半

駿河国(するがのくに)が→駿河国(するがのくに)・伊豆国(いずのくに)に分立

○8世紀

越後国出羽群(えちごのくに でわぐん)を分けて出羽国(でわのくに)を建てる。 

丹波国(たんばのくに)が→丹波国(たんばのくに)・丹後国(たんごのくに)に分立。 

備前国(びぜんのくに)が→備前国(びぜんのくに)・美作国(みまさかのくに)に分立。 

陸奥国(むつのくに)が→陸奥国(むつのくに)・石城国(いわしろのくに)・石背国(いわせのくに)に分立。

数年後に再統合(もとの陸奥国にもどる)。 

上総国(かずさのくに)が→上総国(かずさのくに)・安房国(あわのくに)に分立。 

越前国(えちぜんのくに)が→越前国(えちぜんのくに)・能登国(のとのくに)に分立。 

信濃国(しなののくに)が→信濃国しなののくに)・諏訪国(すわのくに)に分立。10 年後に再統合。 

武蔵国(むさしのくに)が→東山道(とうさんどう)から東海道(とうかいどう)に所属変更。

○9世紀前半

越前国(えちぜんのくに)が→越前国(えちぜんのくに)・加賀国(かがのくに)に分立。

◉江 戸 時 代  ~  明 治 時 代

江戸時代〜明治時代<ダウンロード>

五畿七道から五畿八道へ 

慶長14 年(1609): 江戸幕府(えどばくふ)が開かれて、それまで独立国だった琉球王国(沖縄)を薩摩藩(さつまはん)が攻めて、それ以降は保護国として直轄地(薩摩に管理されるよう)になりました。 

古代より続いてきた五畿七道(ごきしちどう)は、明治初期になるといくつかの分立(ぶんりつ)がおこなわれ、 蝦夷地(えぞち)とよばれた北海道も11の国に分けられ追加されました。 

<この時代に見直されたこと>

○明治元年(1868)

陸奥が→陸奥・陸中・陸前・磐城・岩城に分立。

出羽が→羽前・羽後に分立。

○明治2年(1868)

蝦夷(えぞ)は11 分割(分領支配:ぶんりょうしはい)して、北海道と改名されました。

 (※以降は北海道を含め五畿八道(ごきはちどう)ともよばれました) 

◉昭和〜現在

47都道府県と県庁所在地

昭和〜現在<ダウンロード>

1871年(明治 4)の廃藩置県(はいはんちけん)で全ての <藩>が政府直轄となりました。

藩がそのまま県となったので、3府と302もの県となりました。その後、 統廃合がくり返され、今の<47 都道府県>に近い区分けが 出来上がったのは 1888年(明治 21 年)頃になります。
そして戦後、 1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法(にほんこくけんぽう)施行といっしょに地方自治法(ちほうじちほう)も施行され、都道府県と市町村を中心とする地方自治制度が定められました。 

まとめ

このようにして時代の流れをみると、太古の日本で生まれた区画分けが、いかに長い間続いてきたか。また、現在の都道府県に至ってもその区画が大きく引き継がれているかがわかります。
小学生のみなさんが、これらを全て記憶する必要はないと思います。ですが、これらが頭に入っていれば、さまざまな地域で耳にする、多くの名産品などの名前に、昔の国名がいまだに使われていることに気づくこともあるでしょう。
興味のある方は昔そこに住む人々の暮らしなどと共に、ときおり触れてみてください。

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